「つゆくさのあおいいろ」



 目覚めは結構いいほうだと思う。今日だって、夜明けの日の光と共に目が覚めた。
 「んー」
 大きく伸びをして、掛布を蹴飛ばして寝所から出た。
 史鋭慶の屋敷は無駄に広い。正確には農民である俺が出入りするには広すぎる…という感が抜けない。史鋭慶は陳王高の宰相をしているのだから、このぐらいであたり前なのかもしれないけれど…。
 俺はそんな取り止めの無いことを考えながら、寝ているときに凝り固まった関節をほぐし、水でも飲もうかと調理場に足を向けた。
 調理場に近づくにつれ、トントントンと包丁の軽快で規則正しい音が聞こえてきた。けっして俺が起きるのが遅いわけではないが、李暫嶺の方がいつも早くて朝食を作ってくれている。
 ひょこっと調理場を覗くと、やはり李暫嶺が朝食作りの最中。
 「おはよう、青樺」
 「おはよう、李暫嶺。いつも早いよな」
 「そうでもない」
 調理場に入っていくと、クスクスと笑いながら李暫嶺が冷ましたお茶をくれた。
 「ありがとう」
 「習慣になっているだけだ」
 茶器に口をつけると、するりとほのかな苦味のあるお茶が喉を滑り落ちていく。
 「早く起きるのが?」
 丁度目の前にあったおかずを、ほんの少しつまみ食いしながら聞く。
 「青樺、つまみ食いするとおかずがなくなる」
 きっと李暫嶺は、後ろにもついていているに違いない。後ろを向いているのに、なぜか俺の行動がわかるらしい。
 「ちょっとだけなのに…」
 「ちょっとといって、この間は半分ぐらい食べてしまっていただろう」
 「う…」
 「俺の料理がおいしいといってほめてくれるのはありがたいが、食べるのは食事の時間になってからしてくれ」
 李暫嶺は菜ばしで煮物をつかんだまま振り返った。
 「味見」
 そう言って、李暫嶺は俺の口に煮物をほりこんだ。俺も条件反射で口をあけてしまったときには遅かった。
 「あ…っい」
 はふはふと、口に入れてしまったからにはどうすることも出来ずに煮物を食べる。が熱い…。芋の煮っ転がしなんて、冷めにくいから余計だ。
 「さっきまで火にかかっていたからな」
 しれっと李暫嶺はそう言って、俺を見てクスクスと笑って水を差し出した。俺はそれを気力で受け取って、煮物を流しこんだ。
 「熱かった…」
 脱力する俺をよそに、李暫嶺は中断していた朝食作りに取り掛かっていた。
 「そうか」
 「でも、うまかった」
 「それはよかった」
 李暫嶺は菜っ葉を手早く湯がいていた。
 ここにいても李暫嶺の邪魔になりそうだし、お茶を飲み干した俺は「お茶、ごっそーさんでした」と言って立ち上がった。
 「どこか行くのか?」
 李暫嶺がそうたずねてきた。外を見ればいい天気のようだ。
 「史鋭慶が起きるまでには戻る。庭にいるから」
 そういって、俺は庭に出ることにした。





 「んー」
 大きく伸びをする。
 朝露に濡れる初夏の庭はものすごく気持ちよかった。
 まだ昇りきらない太陽は、やわらかな光で。ちょっとだけ沈みきらなかった月が、うすく影のように残っている。
 枇杷の木がだいだい色の実をたわわにつけている。もう少ししたら食べごろだろうか?きっと今つまみ食いしたら李暫嶺に怒られそうなので、今日は断念しておくことにした。
 足を踏み出すと、ちいさなかえるが踏まれてたまるかと跳ねて逃げていく。小さいときはどっちがいっぱい捕まえられるか、要兄とよく競争した。おふくろはあまりいい顔はしていなかったけど。
 ちいさなかえるの飛び跳ねた先に目をやると、小さな青い花…。
 「つゆくさか…」
 しゃがみこんで、花を見つめた。
 何年ぶりだろう。つゆくさを見るなんて…。
 たぶん見ていたはずだけど、それどころじゃなくて目に入っていなかった。
 ……妹が好きだった花。
 朝露に濡れた青い花が、太陽の反射してきらきらと光る様がきれいだと、妹は毎年この時期になるといつも朝早くに起きてこの花を見ていた。
 『せいかにい』
 そう言って、俺にまとわりついていた妹は……今はいない。
 かわいいものが好きで、負けず嫌いだった妹。
 俺が要兄と遊びに行くのにもついて行きたがって、子どもの頃はそれが嫌で俺は妹をよく撒いて遊びにいっていた。
 『絶対、もっかい会おうね』
 髪を結う飾り紐に願いを託して、妹たちは陳軍につれていかれて、俺たちも城壁工事に駆り出されて…。その後、妹たちがどうなったのかわからない。
 生きているのか…死んでいるのか…それすらも……。
 「青樺」
 史鋭慶の声がしてバサリと外套にくるまれた。そして、後ろから抱きしめられた。
 「史鋭慶…?」
 振り向くと、少し不機嫌な顔。
 「何をしている」
 「何って……。散歩中…?」
 冷ややかに問われて、当初の目的を言うと、史鋭慶は小さく溜息をついた。
 「散歩でなぜ泣く必要がある」
 「え…」
 頬に触ると、濡れた感触。
 「俺…」
 目を閉じると、妹の笑顔。母の面影。父の姿。弟の顔。兄の死に様…。
 次々に思い出されて、涙が止まらなくなった。
 「っ…」
 史鋭慶が俺をさらに強く抱きしめた。
 「史鋭慶、そんなところにいたのか。青樺…?」
 あまりにも俺が戻るのが遅かったからか、李暫嶺が探しに来て、泣いている俺と抱きしめている史鋭慶にびっくりしていた。
 「なんでもない…。ちょっと、思い出しただけ…」
 少し緩んだ史鋭慶の腕の中から抜け出して、涙をぬぐった。
 「そうか…」
 「ところで、飯が出来たぞ」
 史鋭慶と李暫嶺はそれだけで気が付いたのだろう。何も言わなくって、いつものとおりに接してくれた。
 「ありがとう」
 そう言って、俺は立ち上がった。
 「今日はいい天気になりそうだな…」
 李暫嶺が空を見上げて呟いた。きっと、洗濯物の算段をしているのだろう。
 「ああ。そうだな」
 俺も空を見上げて、頷いた。
 空はつゆくさの青い色のように、澄んでいてとてもきれいだった。
 「早く陳王高を倒して、平和な世界にしたいな」
 立ち上がった史鋭慶の手と、李暫嶺の手を掴んだ。
 朝露にぬれるつゆくさがきれいだと思える世界に。見上げた空が青くて、きれいだと思える世界に…。
 「当たり前だ。何のために戦っていると思っているんだ」
 史鋭慶は、あいからわずそっけない態度。
 「そうだな。みんなが幸せだと思える世界に、早くなるといいな」
 李暫嶺は、あったかくなる微笑でにっこり笑ってくれた。
 「ああ」
 そうして、俺は二人の大きな手に頬を摺り寄せた。
 李暫嶺の手からは食べ物の匂い、史鋭慶の手からは墨の匂いがした。



初夏の風がやさしく吹く、ある朝の話…。



END

 


 あとがき

 祝☆500ヒット!!
 このようなサイトに足を運んでくださった皆様、ほんとうにありがとうございます。
 今回は感謝の気持ちを込めて。
 フリー期間は終了致しました。ありがとう御座いました。

2006.6.25  かきじゅん